発声障害とバイクと釣り

発声障害とバイクと釣りに関するブログにします

発声障害を克服しつつあります。

◯◯性発声障害に苦しむ皆さん、こんにちわ。

私は約10年間、過緊張性発声障害に苦しんできました(いました)。その発声障害が今、解決に向かおうとしています。今まで何度も「今度こそ解決方法が見つかったか!」と一喜一憂しては挫折してきた自分が思うので確かです。こういう解決の道もあるということを見てください。発声障害全員がこのケースに当てはまるとは思えません。しかし、多分多くの発声障害者はこのケースだと思います。

その健常者の方々には知り得ない苦しみと解決方法をここに記していきたいと思います。

読み物の面白さとしては期待しないでください。ネットの掲示板に細切れに書き込んだり、ツイッターなどでチマチマ書いていても埒が明かないのでブログにして書き残します。誰の役に立つかはわかりません、このままこのノウハウをもったまま私が死んでも10年間苦しんだ意味がないので、人類が発声障害という病を克服していくためにも、誰かの発声障害の治癒のきっかけにでもなればと思います。

ただ、有効な情報のみを箇条書きしていく形になるかと思います。

 

ボイストレーニング

 音声外来などで通うことを勧められるボイストレーニングはあまり意味がないのでやめてください。ボイストレーニングの先生は自身が発声障害になったことがないので、本当の意味で治るトレーニングはできません。多少喉の調子が悪くなったり、プロの歌手への声の改善の仕方を指導はできますが、病気としての発声障害へのトレーニングはできません。せいぜい「肩の力を抜いて、大きく息を吸って、やわらかくゆっくり声を出しましょう・・」的な当たり前の事しか指導できません。元々、「ちゃんと正しい発声ができていた人」を矯正して元に戻すトレーニングです。私達、発声障害の人間には通用しません。

それはなぜなのかも、後述します。

 

●私達は、元々変だった。

 「なんのこと?これでも私は病気になる前は普通に喋れていたのだけど?」

 いいえ、おかしかったんです。
私達は普通に喋っている健常者の人たちと同じ発声の仕方をしていません。身体的な事情で無意識にそれをカバーする特殊な喋り方をしていたのです。

昔から会話をしていてて「え?今なんて言った?」と何度も相手から聞き返されたりとか、「◯◯さん」と自分ではそれなりの声量で呼びかけても相手が別に無視しているふうでもなく聞こえてなかったりとか、物音が大きく響く環境下だと他の人が話せていても自分だけ「声が聞こえにくい」と言われる、「遠くの人に呼びかけるときに、口に手当てていても大声を出すのが苦手」だったりしませんか。これは発声障害になる前の話のことです。もし当てはまるなら、元々変だったと思ったほうがいいでしょう。響かない声、通らない声を普通に無理やり使っていたのです。そして、幼少期からそういう声の出し方に慣れてしまっていたために、これが普通で「私はちゃんと喋れていた」と思う根拠になるのでしょう。

 

●おかしくなったきっかけ

 皆さん、どういうタイミングで声がおかしくなったか覚えていますか。私は約10年前(2012年頃)のことですが、はじめて声が出なくなった(正しく発音できなくなった)ときのことを今でもハッキリ覚えています。「あれ?なんか今朝は声がでないな・・」カラオケを歌いすぎて喉がおかしくなったとか、普通の人なら、そんなよくあることから始まった発声障害でした。

私は仕事上で声を使うサービス業の一種をしています。

言ってしまえばバスの運転士です。バスの運転士というと、最近までは「寡黙でただ運転をしているだけ」というイメージが強く持たれていると思いますが、最近では安全保持のため、車内マイクでアレコレと喋るように会社からも言われています。私が声が変になったのは、この仕事をはじめて3年ほどしてからでした。毎日毎日、なかなかの過酷な乗務の中で同時にマイクでアレコレと喋ります。本気でアレコレ喋ると、この発声する回数と量は駅の鉄道員のソレを超えてくると思います。鉄道の車掌はほぼ駅の間だけで喋りますが、バス運転士は短いバス停の度に喋ります。 

 私も今から考えると少し喋り過ぎなくらい、仕事上でマイクを使い喋っていました。喉からツバと一緒に出血してきた記憶もあります。そんな状況の中で、はじめて私は声が出なくなるということを経験し、少し経てば治るだろうと思っていたら、ついに声がまともに出なくなるという状況に陥りました。

 

あなたはどうでしょうか。私が見聞きした状況のなかでは「サービス業などの声を日常的に出し続ける仕事をしている」という人が、発声障害になった人にはとても多く感じています。普通に考えれば「喉を使いすぎて、声帯あたりが一時的におかしくなったんだね」と誰もがそう思うシチュエーションですね。しかし、私達の体の中ではソレ以上の崩壊が起きていたのです。

 

●医者に行っても「なにもおかしくない」と言われる。

 皆さん、声が出なくなって困り果て、まずは耳鼻咽喉科へ行かれたと思います。喉の疾患・病気と思うわけですから当然ですね。しかし、まず間違いなくこう言われていると思います。「声帯には異常はないですね」「よくわからないですね」「漢方薬などを出しますから、安静にしてみてください」。

 これを聞いて「エッ!?」と思うわけですね。てっきり声帯かその周辺に傷がついていて、そのせいで声が出なくなっている。薬を投与する、または軽い喉の手術などをして治ると思って病院へ行くわけです。なのに、医者からは「よくわからないですね」と言われるわけです。「おいおい、ちょっと待ってくれよ。声が出なくなってるのは事実なのに、何もないわけないでしょ?」「じゃあ、これは一体ナニ?!」と思うわけです。

 これについて、発声障害界隈ではよく言われていることですが軽く説明します。
耳鼻咽喉科の医者といえども、この発声障害の症例について、知見のある医者は本当に少ないと思ってください。耳鼻咽喉科の医者も「医学書、学会で聞いたことあるかも?」レベルの知名度です。皆さんの住んでいる場所の都道府県の医大レベルでも知らないかもしれません。ネットで「発声障害」で検索して、やっと都市部や政令指定都市レベルに一件の医者が見つかるくらいです。多くの人は、気軽に診てもらえる距離には医者がいないことに驚くでしょう(だいたい、丸一日や泊りがけで東京などに行く必要がある)。国内に潜在的な患者は多数いると思われるのに、それほど理解の少ない病気です。

 

発声障害という泥沼との戦い

 医者の事を書きましたが、そもそもこれが病気として辛うじて認識されていると知ることができればラッキーです。私も10年前にまだそれほど発達していないネットで検索して、少ない情報からやっとこれが「発声障害」という病気であると認識したほどです。多くの人が「喉の調子が悪いままだ」レベルで放置していたり、あきらめて生活しているパターンも多いと思われます。病気として自身で認知できていればまだラッキーだと思ったほうがいいでしょう。

病気のこと、対世間のこと、毎日毎日精神崩壊寸前で悩んでいく生活がはじまります。

これを読んで「大袈裟だな」と思うのは苦もなく声が出せている健常者の人のみです。
(私はこの病気を障害指定レベルだと思っていますので、普通の喋れる人は健常者と呼称します)

 

●泣き言をアレコレ書いても仕方ない

 と、ここから発声障害で苦しむ10年間の日常の思い出・苦しさをアレコレ書いていく・・というよくある流れになっても仕方ないので、一気に解決に向かう経緯について書いていきたいと思います。

 

●元々おかしかったモノが壊れた。

 私達、発声障害者は元々おかしかったと書きました。

私達は、元々の発声の仕方がおかしいと思ったほうが良いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発声障害を克服するアレコレ

 

●元の場所に戻ってはいけない

 なんのことかというと、元々自分がちゃんと喋れていた(と思っている)発声方法に戻ってはいけないということです。前述しましたが、我々は、元々が普通の人とは違う特殊な発声方法でこれまで生きてきました。その特殊な発声方法が酷使で壊れたので発声障害に陥ったわけですから、訓練・治療などで元の場所へ戻ってしまってもまた同じことになるかもしれません。元の場所ではなく、ちゃんと人間として正しく話す機能を使えるところを目標として治癒に向かいましょう。病院などでは声帯に治具を入れたり、ボトックス・外科手術をしたりして「(誤った)元の発声方法ができるように」しますが、それは誤りだと思います。効力が切れたり、治具への慣れができれば、またもとの障害状態になってしまう可能性が大です。(現に高価なボトックス注射は定期的に打ち続けなければ効力が維持できない)

 

●私の陥った過ち

 私が陥った過ちが、その「元々やっていたと思っている発声方法に戻ろうとアレコレトライを続けた」です。具体的に言うと、喉から上の部分を使った発声ですが、結果、部分的にはうまくいっても、いくらやっても元には戻りませんでした。「声というのは声帯付近を中心として喉で作られるもの」、そう思い込んでいたからです。

 

 声というのは、響きが大事です。響きは肺からくる器官と喉、口へと至る空間全てで生成されます。皆さんもっている地声の高さを出すのにも非常に重要です。発声障害の人が総じて声が高いのは、この空間が作れていないので「響き」を作り出せていないのです。自分で辛うじて出せていると思ってるその声は「偽の声」です。けして地声と呼べるものではありません。

 

●声の高さ

 発声障害を治すのに非常に重要なキーワードになります。

発声障害の人たちに総じて見られるのが「弱々しく、そして声も高い」です。ちなみに、低い低音の声を出してみて、しかもその低音の声で喋ってみてというとまずできないと思います。なぜかというと、喉やアゴ部発声だけでは低音の抑揚コントロールと滑舌コントロールは空間の容量不足でできないからです。低音で喋るには、みぞおちの肺部から口までの空間を全てしっかりリラックスさせて使ってコントロールしないとできません。

 

●リラックスできないのはなぜ

 低音を出すためには、みぞおち肺部のリラックスと運動が大事です。この部分が声の抑揚と滑舌をつかさどります。みぞおち肺部の背中、痛かったり、または触られても全くの無感覚状態になっていませんか?この部分の筋肉が血行障害などで全く運動していないと、みぞおち肺部の滑舌するための筋力が動作しないため、低音での発声は不可能です。大きく鼻だけから息を吸って(重要)肺全体を膨らませることができますか?横にだけ大きくではなく、縦にも横にも丸くです、日常でそれが普通にできますか?やろうとしても鼻が詰まっていたり通りが悪かったり、または肺の後ろの筋肉に痛みが走ったりして、その運動が阻害されたりしていませんか?

私はぜんぶ当てはまりました。

私の肺は日常からちゃんと膨らんで機能していなかったのです。

 

鼻から息をしているつもりでほとんど口呼吸、そのうちの空気の殆どは胃袋方向へ。肺へは本当に少ししか空気が行っていなかったのです。肺がしっかり膨らまないから響かせる低音発声ができないので、その代わりを肺からくるわずかな空気を使って喉とアゴ部で器用に作り出した空間での口腔発声で行う。その発声でできた小さな声を、閉じ気味にした口の中で反響させて外に打ち出すことで「声のようなもの(音)」を口から出していた。これが過った口腔部のみ発声と定義します。これ、なにかに近いとおもったら腹話術の話し方なんです。腹話術の話し声って甲高いですよね。わずかな空気で喉と口腔で言葉(のような音)を作り出すから地声のような低い声は出せない(出そうとしても滑舌ができない)、だから甲高い声になるわけです。つまり、幼少期から腹話術に近い話し方で日常の会話を器用に行ってきていた可能性が高いのです。その発声方法が仕事上の無理な乱用などによって支える首・口周りの筋力が悲鳴をあげ、高い声さえも抑揚などコントロールできなくなったのです。ちなみに、私自身はこの口腔のみで作った腹話術のような発声を「偽の発声」と呼んで日頃から陥らないように努力しています。こんな発声の声を口から出しても、ちょっとした距離も伝わらずに拡散します。だから多少の騒音の中でもすぐかき消されるし、相手にも「なんて言ったの?」と聞き返されるわけです。

 

また、この口腔生成した発声では、声の抑揚と高さのコントロールはまともにできません。例えば、1オクターブだけでもドレミファソラシドのうちの、上のソラシドしか抑揚に使用できないため、音域オーバーした言葉は発音できなかったり途切れたり、アクセントがおかしくなるのが特徴です。これが「発声障害だと声がブツブツ途切れる」の正体です。声がそのソラシド以上の高さで発声できないから抜ける(途切れる)のです。また、ソラシドより低い音域が必要で下に行こうとしても、その下は行けないわけですから、ずっとソソソソソ・・の音程で発声しなければなりません。この時、下の音域に行こうともがくわけですが、それができない場合、声が震えます。肺と器官への開かないドアを必死に叩いているイメージですね。低音を出すには肺への空間が必要です。しかし、肺へと繋がる器官が広がろうとしても痙攣してまず広がりません。肺周りの筋力のリラックスに失敗しているから無意識に喉・口腔発声をしているからです。「発声障害だと声が震える」は声の高さがそれ以上下げられないときにでる症状です。発声障害の人が総じて高い声でもがくのは、そういう理由があるためです。

自分の正しい高さの地声を取り戻す、低い声で喋れるようにするのが目標となります。

 

●声を出さないと治らない

 このように発声障害の主原因である、喉から口腔だけの空間を使った小手先の「口腔発声」をやめるためには、人間として正しい「横隔膜発声」をする必要があります。横隔膜発声はしっかり肺を膨らませること、そのために鼻から息をしっかり吸えように整えること、肺の後ろの筋肉がしっかり動作するようにマッサージ・刺激などを与えることです。そして、声は喉で生成するものではなく、みぞおちのあたりで生成されて昇ってくるものとイメージします。みぞおちのあたりに声帯はあるというイメージです。ぜったいに喉で声を作るという固定観念・イメージは捨てなくはなりません。そうしないと、喉と首・アゴ付近の筋力のリラックスはできないからです。リラックスが難しい場合、または疲労で筋肉が動かなくなっていると感じる場合、肺を膨らませていても滑舌が回らなくなります。発声を司る横隔膜筋肉が動作しないからです。上半身をストレッチのように左右に回しながら強制的に筋肉に対して刺激を与えつつ喋ると(傍から見ると不思議に思われますが)話せてしまうはずです。これが肺の横隔膜周りの筋肉が滑舌に大きく影響している証明となります。

 

 そして、これも肝要なのですが。声を出さないとこの病気は治りません。リハビリです。この病気にかかった人は、どうしても必要な時以外に声を出さなくなります。人に何を言われるか、思われるか、恥ずかしいからです。

 しかし、私は仕事上で声を出し続けてトライを続けることでここに述べているような事実にたどり着きました。はっきり言って、声に対して、人の事情や気持ちの痛みが推し量れない人から、笑われたり「何言ってるかわからないんだよ」と嫌味を言われたことは数え切れないほどあります。そりゃあそうです、マイクを使ってあれだけの変な声を出し続けたわけですから。

 

10年前から声に対して嫌味を言ってバスから降りていってくれた皆様、本当にご迷惑をおかけしました。今はどうでしょう、自分で言うのもなんですがここまで聞ける声になりましたよ。聞いたら前言撤回したくなりますよ。何もわからないくせに知った顔で嫌味を言ってくれた差別主義の健常者様には厚く御礼申し上げます。

 

しかし、声を出してアレコレ試し続けないと治っていかないのがこの病気の最も苦しいところです。どうか、ここだけは乗り越えてほしい。こればかりは、やるしかないのです。こんな声を世間様に出したくないけど、恥ずかしいけど、声を出して正しい発声のノウハウを千本ノックのように積み重ねていかないと治っていかない。

 

 

●環境をどう整えていくか。

 私の現段階の課題となっている部分です。私は今、これまで述べてきた横隔膜発声で仕事上のかなりの部分を回復できています。アナウンスや仕事上のちょっとしたやりとりなど、口腔のみ発声に戻ってしまう失敗はまだまだありますが、発声障害の声にならない成功率はかなりあがっています。以前より、ずっと相手には伝わっていると実感しています。「99パーセント ついに掴んだぞ、解決方法を(by KR)」というかんじです。

 

しかし、うまくいかない部分があります。

日常会話部分です。話し方というのは人それぞれのため、人によってうまく会話に発音ができない事がまだまだ多々あります。その原因は「タイミング」です。

 

タイミング、人によって相手との会話のキャッチボールの仕方が違います。自分が一言しゃべって相手が一言しゃべって、また自分が喋る。または自分がある程度喋って相手が喋って、また自分がある程度喋る。こういうキャッチボールのタイミングが独特な人がいます。ずっと自分が喋り続けるタイプと、相手にずっと喋らせる人ですね。会話のタイミングとは大縄跳びで縄に入るタイミングを測るのと同じもので、ずっと喋る人とずっとこちらの話を聞いている人というのは、その縄を高速で回し続けて待ち構えているようものです。非常に会話に持ち込みづらく、相手のみ、またはこちらのみが喋りっぱなしとなります。

また、ずっとこちらが喋り続けさせる人とは「え?まだこっちが喋るの?いつまで話していいの?」と、どんどん息切れしていき、背筋の筋力が弱り音程のコントロールができなくなっていきます。

その入るタイミングが非常に掴みづらい中で、ここまで述べた発音法を実現するのは難しいです。話すと決めたタイミングでまだ話し続けられると(要はタイミングを潰されてしまう)、体がずっと発音スタンバイした状態をキープするため、息を止めたような、ずっと緊張状態となります。そして、いざ話そうとしたときに体が緊張状態のため横隔膜発声ではなく、喉口の小手先発声が優先になってしまうのです。とにかく、苦手なのがこの2タイプで、いつも会話での発声がうまくいきません。横隔膜発声スタンバイをキープしたままはなかなか出来ないというのが今の悩みです。必ず我慢の限界がきて口・喉の小手先発声に体が逃げてしまいます。とりあえず、楽に声(のようなもの)が出せると体が覚えてしまっているからですね。

完全に喉口の小手先発声になってしまい、音程コントロールが失敗しておなじみの「言葉が詰まる、途切れる、震える」の状態に陥ってしまいます。とにかく、相手との会話のキャッチボールがしにくい相手には発音をなかなか苦戦させられます。お互いが同じ様な長さで話しを渡し、ポンポンとリズムよくキャッチボールできればいいカンジなのですが・・。

そういう相手には仕方ないので、相手が話し疲れるタイミングを待つか、相手にもタイミングをゆずるように話を向けて自分が休憩する時間を作るしかありません。または正直に相手に申告して、深呼吸してから横隔膜発声の体制を整えて喋りだすか、ですね。

あと、こちらが一言話す毎に、質問形式でどんどん聞いてくるというカタチで会話をしてくるタイプも苦手です。パッパッパッと答えていかないとならないからです。どこかでタイミングを一旦、落ち着かせないと息が上がって発音自体ができなくなってしまうのです。

これが環境を整えるということです。

普通の人なら、いちいちこんなこと考えないようなことまで考えて会話しないとならないのです、この病気は。ですが、この病気になる以前から、この傾向は自分にあったように感じます。これらの相手と話していて、とにかく息が続かないというか、息苦しくなるのをなんとなく感じていました。多分、前兆があった。こうなるべくしてなったんだと思います。

 

●特定環境下での発声

 狭いお風呂やトイレ(男性に限るかな・・)の中だと「アレ!?声が出てる」とびっくりするくらいリラックスしてスラスラと話せていることがあります。風呂やトイレの中は声が響くので、多少声量のない発声で話しだしても「反響」がそれをカバーしてくれるので、耳から入った声が脳に届き「ちゃんと聞こえる大きさだ」とそれを続行しようとします。

 

たまに、通常とくらべて迷惑なくらい声のやたら大きい人がいますが(うらやましくもありますが・・)、ああいう人は「自身の声が耳で聞こえないから大きな声を出す癖がついている」と思っています。つまり聴力が弱いのです。

 

●医者に行くと普通に話せてしまったりする。

 発声障害体験談を見ているとよくあるのですが、私もこれを経験しました。いざ病院に行って医師を目の前にすると痛かったはずのところが痛くなくなってしまう、とかいうアレです。

 せっかく症状を聞いてもらおうとするに、不思議とスラスラ話せてしまうものですから困ってしまうんですよね。相手からは「なんともないな・・」なんて目で見られてしまうし。発声障害が単に精神的なものとして片付けられてしまいがちな原因の一つですね。

これは、理由があると思います。

1.相手が完全に聞き手モードになっている。

 前記しましたが、会話する相手の挙動によって発声のしやすさは変わります。相手が完全に聞き手モード(いくらでも語ってください)だと、完全に安心してこちらのペースで話せたりします。相手もこちらの事を聞くのに集中している。ゆっくり落ち着いて、時間をかけて話せる、事情を知った上で聞いてくれている安心感(重要)、全く急かされる要素がない(重要)、これで体の特に肺周りの緊張がほぐれ横隔膜発声が発動し、話せるのです。

2.静かな環境で雑音に悩まされずに話せる安心感

 病院は総じて静かです。特に診察室はシーンとしていますから自分と医者の声がよく反響して響きます。前述したトイレ・お風呂の中だと発音しやすいのと同じ理屈です。

 

発声障害はけして心因的なものだけではないと私は言いたいのですが、この現象が出てしまうと医者としても「こういう場で発音できてしまうのは、精神的なものなんだろうな」と誤解してしまうのも分かる気はしますが。音声外来の先生方には、状況のおかげでたまたまうまく話せているだけなんだよという事を理解していただきたいです。ひとたび静かな病院を出れば、騒音だらけで相手の事も考えず会話する相手だらけの、発声障害者には過酷な状況があり、そこで苦しんでいるのですから。これは音声外来の医師でさえも知りえないところでしょう。発声障害になった当事者が自身を人体実験の道具として研究して見つけた結論だからです。

 

 

 

書きかけです。

わかる人にはわかる内容です。

 

 

 

バイクと釣りと「発声障害」という病気に関するブログです。

主に自分の感じた事と、自身の患っている発声障害という病気に関するブログです。

 

発声障害以外の人にはチンプンカンプンかもしれませんが、発声障害の人には少しでも言っている事が伝わればいいなと思っています。10年間、自分自身の病気の体をモルモットにして研究しつづけた結果です。

今までの発声障害でよく言われる定説・概念を覆す内容となっています。

医者ではわからない、発声障害になった当事者にしか掴めない情報です。

 

ついでに趣味であるバイクの事や、釣りに関する記事を載せたいと思います。

日々の雑感など。